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『沖縄と奄美は、きょうだい』
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まだまだ、作成途中ですが
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「公害知事よ さようなら 憲法知事さん こんにちは」

「公害知事よ さようなら 憲法知事さん こんにちは」この大阪府知事選の時、瀬長亀次郎さんも応援に大阪へ来ていたんやね。だけど… (涙)<山下よしき Official Web Site>黒田了一さんを偲んでhttp://www.yamashita-yoshiki.jp/archive/column/1075977922.html2003/09/01 元大阪府知事の黒田了一さんが亡くなりました(7月24日)。 憲法学者だった黒田さんは、1971年の大阪府知事選挙に立候補。「公害知事さんさようなら。憲法知事さんこんにちは」の合言葉が大阪中に広がり、大方の予想をくつがえして勝利しました。そして、2期8年の間に、全国に先駆けて老人医療費の無料化を実現、公害対策の充実、府立高校56校建設、中小企業融資枠の拡大など、住民が主人公の政治を貫きました。その業績は、全国の自治体や国の政治にも影響を与え、いまも私たちの暮らしの支えとなっています。 残念ながら、私は、現職知事時代の黒田さんとお会いしたことはありません。ですから直接の思い出は、黒田さんが知事を引退した後のものになります。 最初にお会いしたのは、私が鳥取の大学で学んでいたときでした。たしか、1979年か80年だったと思います。鳥取市に来られた黒田さんの講演を、学生仲間で聴きに行ったのです。じゅんじゅんと説くお話から、政治が変われば暮らしが変わる、というメッセージが伝わってきました。講演後、舞台袖を訪ねた私たち学生に、黒田さんは「あなたは何を専攻しているの」とひとりひとり声をかけ、人懐っこい笑顔で励ましてくれました。 そのとき聴いた講演で、いまでもはっきり覚えているのが洪水対策の話です。黒田さんは「水害は起こったら府民に怒られるが、治水対策に力入れて起こらなくしても、みんな忘れて誰もほめてくれません」と笑わせながら、その重要性を説かれました。 現在、私が住む大東市には、深野(ふこの)遊水地という大きな遊水地があります。普段は公園として多くの市民に親しまれ、私も子どもたちをつれてよく遊びに行きます。じつは、この遊水地こそ、黒田知事が大東水害の教訓を生かして手がけた洪水対策だと知ったのはずいぶん後のことでした。 次に私が黒田さんの姿を間近に見たのは、80年代のはじめ、大阪市の中之島中央公会堂ででした。私は、大阪で青年運動に情熱を傾けていました。その頃、政治の舞台では、社会党が公明党と政権合意を結び、安保を容認し、革新の立場を投げ捨ててしまったことが大きな問題となっていました。黒田さんは、「平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会」(全国革新懇)を結成し代表世話人として奮闘されていました。中之島で聴いた黒田さんの演説はいまでも忘れられません。 「社会党が右転落して、ああもう革新統一の展望はなくなったと嘆く必要はないのです。政党の組み合わせだけが統一戦線ではありません。転落した社会党が立ち直るのを待つのではなく、国政革新の要求で一致する団体、個人が、草の根で共同することが大事なのです」 目からうろこが落ちるとはこのことでした。待ちの姿勢ではなく、情勢を主導的に切りひらいていこうという黒田さんの呼びかけは、私の胸に新鮮に響きました。これは政治と社会の変革を志すものにとって、いまでも通用する大切な心構えだと思います。 黒田さんとの思い出の最後は、私が参議院大阪選挙区の候補者に決まったごあいさつに、箕面市のご自宅を訪ねたときのことです。93年のことでした。体調があまり優れないにもかかわらず、例の笑顔で激励してくれました。 生涯を、進歩と革新のために捧げ、大阪府民に希望と勇気を与え続けてくれた黒田了一さん。あなたの遺志を受け継いで、新しい道を刻むために、私も微力を注ぐことをお誓いします。どうか、安らかにお眠りください。 明日9月2日、黒田さんをしのびお別れする会が、中之島の中央公会堂でおこなわれます。※写真は93年5月頃、参院大阪選挙区候補に決まり報告を兼ねて、黒田了一さん宅を訪問。親しく懇談をした思い出の風景。