『焦土の記憶』 ――沖縄・広島・長崎に映る戦後

◆書評
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1243-6.htm

焦土の記憶―目次


プロローグ――問いの設定
体験の語りの位相差  ローカルな輿論と文芸誌  体験と政治と世代  本書の構成

序章 戦後日本における「断絶」と「継承」――体験への共感と反発の力学
「わだつみ」への共感  教養への着目  庶民的教養と「わだつみ」  年長知識人の批判  戦記ブームと反「わだつみ」  第二次わだつみ会と「語り難さ」への固執  自己への問い  遺稿集の再刊  世代間の断絶  六〇年代末の戦記ブーム  跪拝の対象としての戦争体験   わだつみ像破壊事件  共感と反感の捩じれ  教養主義の没落  断絶から忘却へ

第一部 戦後沖縄と戦争体験論の変容
第一章 終戦と戦記の不振――戦後初期の沖縄戦体験言説
沖縄戦  Kレーションの恩恵と「解放感」  「おどけた明るさ」  復帰への拒否感と戦記の不振  マス・メディアの不在  本土の沖縄戦記ブーム  『鉄の暴風』の刊行  『沖縄の悲劇』  「ひめゆり」の振幅  「ひめゆり」の「わだつみ」化  意味づけへの不快感  語り難さと悔恨  基地建設の進行と戦火の余塵  『沖縄健児隊』と本土の戦記ブーム  映画『沖縄健児隊』をめぐって  帰属問題

第二章 戦中派のアンビヴァレンス――復帰以前の戦争体験論
戦中派の台頭  東亜同文書院と戦争体験  認識の相対化  アンビヴァレンスの発見  土地闘争の激化と復帰運動の低迷  復帰運動の再生  復帰運動への違和感と戦中派の情念  下の世代との軋轢  琉大事件と学生の抵抗  本土の戦中派との接点  教養体験の相違  「伝統」をめぐって

第三章 反復帰と戦記の隆盛――沖縄返還問題のインパクト
本土復帰への幻滅  反復帰論  脱沖縄と六〇年安保の衝撃  「本土経由」の体験への関心  戦史研究の隆盛  本土復帰と沖縄戦記録  沖縄の戦後派と本土の戦中派  「戦争体験」の磁場と本土―沖縄のギャップ  体験の相対化  復帰運動の「戦争責任」  ベトナム戦争のインパクト  総合雑誌の隆盛  「集団自決」「住民虐殺」のアジェンダ  二項対立への違和感  「カクテル・パーティー」への嫌悪  本土―沖縄の「断絶」

第二部 被爆体験と「広島」「長崎」の戦後史
第四章 祝祭と燔祭――占領下の被爆体験言説
「八・六」の明るさ  占領下の制約と広島  『中国文化』と中国文化連盟  創刊号「原子爆弾特集号」  責任をめぐって  地方雑誌文化の隆盛  「八・九」イベントと広島への劣等感  国際文化都市建設法公布と長崎の祝祭化  被爆の語りとカトリシズム  「永井もの」への共感  恩寵論への不快感  悔恨と屈折  天皇をめぐって  オールド・リベラリストとしての永井隆  山田かんの人生経路  教会への不信  広島への劣等感

第五章 政治と体験の距離――占領終結と原水禁運動の高揚
占領終結と第一次原爆文学論争  スティグマと「売り物」  原水禁運動の高揚  体験と政治の接合  長崎文芸誌の隆盛  永井隆批判と長崎メディア  記念日言説の変容  福田須磨子「ひとりごと」をめぐって  浦上天主堂と瓦礫のアウラ  遺構との距離感  遺壁のアウラ、巨像と虚像  原爆ドームと存廃論議  原爆ドームの保存  「保存」による「風化」

第六章 「証言」の高揚――一九六〇年代以降の体験論
「ヒロシマ」への不快感  戦中派の情念  第二次原爆文学論争  被爆体験への距離感  被害と加害  ベトナム戦争と「広島の記録」  「水俣」との接点  『長崎の証言』  ベトナムと佐世保  「沖縄問題」という回路  在韓被爆者と「加害」の問題  「原爆白書」と公害のアジェンダ  わだつみ像破壊事件の衝撃  駆動因としての「広島コンプレックス」  広島へのインパクト  「天皇の戦争責任」論  「やむを得ない」発言  正典化への違和感  「原爆文献を読む会」と断絶  「体験の現在」と「継承」  「証言」の背後の「忘却」

結 論
終章 沖縄・広島・長崎に映る戦後――「断絶」と「継承」の錯綜
戦後初期と体験記ブーム  六〇年代末の戦記の高揚  広島と長崎の差異  沖縄と体験・政治・世代  広島・長崎と世代の力学  教養の力学の差異と文芸メディアの輿論  アジェンダの消失

エピローグ

図版出典一覧
関連年表
事項索引
人名索引
装幀――難波園子

琉大事件を考える(仮称)

第一次琉大事件に関する情報を集めています。