第一次琉大事件 米が圧力/県公文書館に派遣教授の手紙

2008年09月16日【朝刊】 政治 

第一次琉大事件 米が圧力/県公文書館に派遣教授の手紙

「軍諜報部隊が関与」/大学側、調査へ

 一九五三年に平和運動にかかわり謹慎処分を受けた学生四人が問題を学外集会で公表し退学となった「第一次琉大事件」に関し、処分の背景に当時沖縄を統治していた米国民政府(USCAR=ユースカー)や米軍諜報部隊(CIC)による圧力があったことを示す文書が見つかった。
県公文書館が所蔵する「ミシガン州立大学支援事業関係資料」の中に含まれていた。
ミシガン側代表が米国民政府に情報提供をしていたこと、「CICはかかわっていたが黒子に徹していた」などの記述があった。
識者は「アメリカの圧力があったことが裏付けられた」「占領者の意図でつくられた大学で、米関係者が背後で暗躍する状況が分かる」と指摘する。(謝花直美)
 
 文書は、ミシガン州立大派遣教授団(ミシガン・ミッション)のラッセル・ホーウッド団長が、五三年五月十三日付で同大のミルダー学部長へ送った手紙。ミシガン州立大は、米陸軍省との契約で、五一年から琉大支援のために教授陣を派遣していた。
 
 手紙は、五二年六月から琉球大学内に「危険分子的」な活動が見られたことを端緒に、五三年の「第一次琉大事件」に対する大学側の対応が、「東洋人の意思決定の難しさ」「(米国民政府が)強力な意見を述べたが、助言は役立てられなかった」「断固たる対応をとらなかった」として批判。このような琉大側の態度が「大学と大学に関わっている米国人をひどく傷付けた」と記している。
 
 その過程で、第一次琉大事件の学生が学外のメーデーで問題を訴えた時に「大学当局と米国民政府はこの四人の学生について、もっと踏み込んだ措置を取るべきだと感じました」と記述。米国民政府も問題の動向に関心をよせ重い処分を求めていたことが分かる。
 
 当時は沖縄の企業で労働争議が多発、米軍側は徹底的な反共政策をとり、メーデーを強く警戒していた。実際に琉大は教職員全員を集めた会議の後に四人の退学を発表している。
 「私(ホーウッド)は黒子に徹し、アドバイザー的な役割を果たした。そして(米国民政府民間情報教育部)ディフェンダファー氏に絶えず情報を知らせていました」と、派遣団と米国民政府が緊密に連携していたことも分かる。
 
 また「CICは、この問題にかかわっていましたが、これまで黒子に徹していました。(琉大副学長の)安里(源秀)氏、ディフェンダファー氏とCIC代表が今夜、会議を持つ予定です。ディフェンダファー氏は(今回の問題で)これからしなければならないことについて述べるつもりだと言っていました」と記述。CIC、米国民政府という米側が、琉大の対応が不十分であるという見方をしていたことが分かる。
 
 第二次琉大事件の処分を撤回した調査委員会の委員長を務めた新里里春琉球大学副学長は「あの時の理解では(大学側の第一次事件の処分は)合法であるという見解だった。そのため二次事件だけを調査対象にした。(今回のように)後から出てきた資料があるとすればあらためて事実関係を調べる必要がある」と話した。

 
[ことば]
 第一次琉大事件 1953年、原爆展、沖縄の「日本復帰」を訴える小冊子を作った学生ら4人を、琉球大学は謹慎処分にした。学生らが大学の対応について労働者の祭典「メーデー」で批判したため、大学当局は4人を退学処分に。56年に「反米的」なデモや文学活動をしたとして学生を退学・謹慎にした第二次琉大事件は、米側の圧力があったとして琉大が2007年になって処分を撤回している。