『「島唄」は元々は奄美の各集落で歌われてきた村の歌のことで、沖縄民謡のことではない。それがBOOMの「島唄」がヒットしたために、沖縄民謡のこと、になってしまっている。奄美諸島の中で琉球音階なのは最南の与論だけで、他は大和音階。踊りの六調も同様。琉球と大和の間で翻弄され続けてきた証。
琉球王国の支配と差別も厳しいものだったことは、民話や伝説からうかがえる。薩摩は言わずもがな。維新後も搾取したからな。第二次大戦後は米軍に占領された。でも金は沖縄に注ぎ込まれるばかりで、基地のない奄美は軽んじられ、もちろん日本政府からの支援があるはずもなく、深刻な食料難に陥った。
食料始めあらゆる物資が不足する中、奄美では、激烈な本土復帰運動が起こった。特に、まともに教科書もなく、米国からろくな援助も無かった教育現場では危機感が強く、教師が鹿児島に密航(!)して教科書や資料を持ち帰ったらしい。発覚したらどんな目にあったことか。占領軍の軍政下で。
奄美の抵抗に手を焼いた米国は、1953年12月25日に本土復帰を認めた。沖縄に先立つこと約20年。しかし20年分振興が進んでいたわけでもない。敗戦後まだ8年。朝鮮戦争特需があるとはいえ日本全体がボロボロだった中で、奄美だけ特別扱いはされなかった。奄美は今度は時代の狭間に落ち込んだ。』
「今年12月25日、奄美の本土復帰65周年である。沖縄と共に占領下にあった奄美の人々、米軍基地建設ブームの沖縄へ出稼ぎに行ったらしいが、差別されたらしい。それが嫌な人は、密航で本土へ渡ったらしい、初代・朝潮もその一人。本土復帰まで兵庫出身を名乗っていた。密航がばれたら強制送還されるから。」
「同和教育ってよく分からないんですが
・琉球から侵略
・薩摩から侵略&すげぇ搾取(人口の半分農奴)
・明治になっても鹿児島県から搾取
・鹿児島県からのインフラフォローは最低レベル
・奄美本土復帰したら沖縄の奄美出身者公職追放
という超差別された奄美大島ってところがあるんですけどね。」
「ブラタモリを見て奄美大島の過酷な歴史を少しだけ知る事ができた。有毒な蘇鉄を解毒して食用にせざるを得なかったのは、番組で紹介された時期のほかに1920年代の恐慌の時もらしい。そして太平洋戦争後の本土復帰が1953年だったということも、恥ずかしながら先ほど知った。」
奄美 本土復帰50周年の年
「めざましテレビ」で、奄美から特集・生中継があった。
その時、生中継で映し出された奄美の風景の美しさに凄く感動!
そんな奄美には奄美の歴史がある。それは、とても過酷な歴史。
番組のエンディングで流れた『花~すべての人の心に花を~』が印象深かった…
『沖縄県民は何かにつけて「自分たちは差別されている」と言うが、1972年の本土復帰までの29年間に及ぶ、奄美出身者に対する露骨な差別についてはどう説明するのか?
どうせ教育現場からも「無かったこと」にして都合よく葬り去ったのだろうが。』
「最近、種子島で日米合同訓練を行うことを地元の行政が了承したというニュースを聞きました。
きついことを言うようですけど、奄美は軍政下に置かれることによる繁栄を拒絶し、ソテツの実でしのぎ、アメリカには「平和と協調の精神」で臨み、よって、本土復帰となったのです。アメリカや日本政府を敵視することはならぬ、国会の方針や親心を無視するな、その中には、沖縄が本土復帰となるよう道筋を付けようという思いもありました。
戦いなくして希望を叶えるのはそれほど厳しいものなのです。その覚悟は沖縄にありますか?米軍を追い払ったとしてその先には何がありますか?」
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