新崎盛暉先生

この一年間の沖縄タイムスの動きについて、新崎盛暉先生へ質問してみたら、先生は何て答えたか…


先生、亡くなったからね

色々と追及できなくて残念だわ





新崎盛暉

新崎盛暉の一覧。2014年沖縄県知事選は何だったのか - 1996年、私は千葉県市川市に住んでいた。その年の夏、私は大阪へ帰省。その大阪で、偶然に記事を見た。終戦特集みたいな扱いだった。朝日新聞は朝日新聞でも、関西版の記事だった。夕刊では、見出しに更に加えられた言葉があった。新崎先生は、朝日新聞も購読していたが、さすがに関西版まではね…という話をしたのも、去年の10月に新崎先生と会った時なんだけどね。運動とか闘い私の伯父は、暴動を起こしたわけでもない。アメリカ人はアメリカへ帰れ!とか、言ったわけでもない。座り込みをしたわけでもない。沖縄の運動とか闘いって、何?ホント、意味わかんない奄美に自衛隊その事に、声をあげる人は極一部だよ。だからといって、奄美の人に対しても、沖縄の闘いを見習え!とか言う人がいたら、私自身が許さないと思う!って、私は既に多数の人からTwitterなどでもブロックされてるんだった💨これから、どうするつもりだ?と、新崎盛暉先生に聞かれた。何をされたら、困るんですかね…奄美の山は、既に削られているしね昨日今日の話じゃないし。*瀬戸内町推進協「艦艇配備、基地拡充を要望」2018年12月4日 

琉大事件を考える(仮称)

商品の説明

内容紹介
沖縄現代史研究と市民運動を長年牽引してきた著者の、日本(ヤマト)にいながら「沖縄を生きた」前半生の回顧録。日中戦争勃発前年に生まれ、焼け跡で少年時代を過ごし、米軍支配下の父祖の地・沖縄に思いを寄せながら東京で学び働いた青年期を経て、返還後まもない沖縄に移住するまでの自身の軌跡と、様々な出会いの記憶を織り交ぜ、沖縄と日本の激動の同時代史を描き出す。現代文庫オリジナル版。 


内容(「BOOK」データベースより)

沖縄現代史研究と市民運動を長年牽引してきた著者の、日本にいながら「沖縄を生きた」前半生の回顧録。日中戦争勃発前年に生まれ、焼け跡で少年時代を過ごし、米軍支配下の父祖の地・沖縄に思いを寄せながら東京で学び働いた青年期を経て、復帰後まもない沖縄に移住するまでの自身の軌跡と、様々な出会いの記憶を織り交ぜ、沖縄と日本の激動の同時代史を描き出す。岩波現代文庫オリジナル版。

 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

新崎/盛暉

1936年、東京に生まれる。1961年、東京大学文学部社会学科卒業。都庁勤務のかたわら「沖縄資料センター」の活動に従事。1974年、沖縄大学に赴任。学長・理事長を経て、沖縄大学名誉教授。専門は沖縄近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 



新崎先生、1950年代前半の沖縄にはいなかったんだね…




https://ja.wikipedia.org/wiki/新崎盛暉

新崎盛暉(あらさき もりてる、1936年1月27日 - 2018年3月31日)は、日本の歴史学者、評論家、沖縄大学名誉教授。「沖縄現代史」を論じる。

東京府東京市杉並区天沼生まれ。
1961年、東京大学文学部社会学科卒。

都庁勤務を経て、1974年に沖縄に移住し、同年から沖縄大学助教授、1975年から教授。

1983年~1989年には学長を務め、2001年~2004年には2度目の学長を務めた。

2007年に定年退任し名誉教授となる。

 

反戦運動家として活動し、1978年に伊波普猷賞、1984年に沖縄研究奨励賞、1993年に沖縄タイムス出版文化賞を受賞。 

「九条科学者の会」呼びかけ人を務めた。 


2018年3月31日午後5時38分、肺炎のため沖縄県南風原町の沖縄県立南部医療センターで死去した。82歳没



私が、新崎先生と会ったのは2017年10月。

子憎たらしいぐらい、凄く元気だったのにね。

琉大事件を考える(仮称)

第一次琉大事件に関する情報を集めています。