2017.02.19 04:17世論週報 3-10琉大問題特集この資料、CD-R💿に落としました✏この資料は、「絶対に捨てるな」と書かれた封筒に入ってました。目次・項目のみ、ここへ書き出しておきます。3‐10世論週報琉大問題特集琉大事件の眞相を衝く・抗議と激励・琉大問題と新聞論調・世論はこう見る・琉大を追るるの記1953年6月6日発行目次巻頭言゛自由というもの゛琉大事件の眞相を衝く!▼謹慎処分までの経過▼メーデー以降の斗争▼琉大事件の意味するもの抗議と激励抗議文1953年5月15日 名瀬市青年團中央執行委員会琉球大学々長殿゛激励文゛1953年5月10日名瀬市青年團中央執行委員会中野、浜田、上原、宮城四君へ激励昭和28年5月13日琉球契約学生会沖縄学生会琉大政経クラブ会員一同宛新聞はどうみたか大学の自治...
2017.02.18 10:581953年の出来事③ 沖縄朝日新聞私が持っている資料のタイトル『沖縄朝日新聞』琉球大学の実情を訴う① 1953年5月7日琉球大学の実情を訴う② 1953年5月8日琉球大学の実情を訴う③ 1953年5月9日琉球大学の実情を訴う(完) 1953年5月10日
2017.02.18 10:501953年の出来事② 沖縄タイムス私が持っている資料のタイトル『沖縄タイムス』 1953年5月5日朝刊 火曜日 一面社説 琉大副学長の罷免問題1953年5月7日朝刊 木曜日 一面社説 大学法の立法をのぞむ1953年5月12日朝刊 火曜日 一面社説 琉大紛争と学園の改革1953年5月19日朝刊 火曜日 一面社説 琉大問題と教育の自由
2017.02.18 10:021953年の出来事 ①【1953年】 1/8 那覇で第一回祖国復帰県民大会 1/10 「沖縄諸島復帰期成会」発足 教職員会、市町村長協議会、青年連合会、婦人連合会、教育後援連合会で構成。 のち体育協会も加わる。 会長屋良教職員会会長、副会長には長嶺秋夫小禄村長。 「復帰運動を超党派的な民族運動として推進していくためには政党を加えない方がよい」と政党排除。 1/20 アイゼンハワー大統領就任。国務長官にダレス指名。 1/XX 清水建設本部採石場スト。 1/XX 沖縄諸島祖国復帰期生会結成。会長屋良朝苗教職員会会長。 講和条約経て復帰運動の大衆組織はしばらく存在しなかった。 教職員・沖青連が運動再開の声上げる。...
2017.02.11 09:03歴史的位置付けこの記事を読んで、今こそ、歴史的位置付けをしておかないとと、あらためて願うこの記事は、ここに転載するが💦その他の新聞記事はCD-R💽に落としてるので新聞社・日付け・タイトルはこのblogに、記していこうと思ってる🔎【沖縄タイムス】2008年09月17日【朝刊】 社会 【問われる当事者の姿勢/第1次琉大事件米圧力】職員会、徹底調査求める/「大学当局が見解示せ」 一九五三年の第一次琉大事件で学生処分の背後に米側の圧力を示す米文書が見つかったことを受けて十六日、琉球大学教授は「当事者として取り組む」と決意を新たにし、識者らはこの問題への対応が「琉大、そして沖縄社会のあり方が問われている」と指摘した。 琉球大学教授職員会の辻雄二教授...
2017.02.07 07:16沖縄奄美変換運動史(上)高安重正この本を、入手⤴といっても、私には難しすぎる💦伯父が、奄美・沖縄にいた頃のページだけを拾い読みして…先生方や周りの人へ質問や相談をしていく形になると思います✨宜しくお願いします🙇⤵
2017.02.06 08:29ここに記すある1人の人の人生。その人の事が書かれている資料、これから出てくるであろう資料も含めたら、一冊の本になるぐらいの量はあるだろう。それが、整うには どれくらいの年月を要するかわからない。途中までになるかもしれないが、それらは、沖縄県公文書館や琉球大学不屈館へ寄贈する事を、ここに記しておく。
2017.02.01 07:15「敗戦直後の沖縄の政党と独立論」より上原清治で検索したら下記のblogがヒットした沖縄自治研究会http://plaza.rakuten.co.jp/jichiken/敗戦直後の沖縄の政党と独立論http://plaza.rakuten.co.jp/jichiken/8013/その中から、上原清治さんに関する部分だけ、書き出しておく。新崎盛輝先生も、いわゆるその当時の沖縄人民党は、これは間違いなく独立を志向したいただろうということを、『戦後沖縄史』の中で「戦後、人民党のいう全沖縄民族の解放は明らかに独立的志向を示していると言えよう。特にうるま新報や、実質的な人民党の機関誌『人民文化』に掲載された瀬長亀次郎の論文では、1949年から1950年の段階においてなお一貫して全沖縄(琉球)民族の解...