2017.05.01 02:45祖国なき沖縄より⑨ 1952年 住民の間に沸き起こっている反植民地の戦いは各地でぞくぞく選挙権擁護大会を開く方へ発展して行った。つづいて行われた北部の選挙も野党連合を勝利させた。相次ぐ選挙は絶えず占領軍の干渉を受けながらも、県民はこれに屈することなく、彼等の利益を代表する勢力をハッキリと知るまでに成長していたのだ。 占領制度と反動勢力のみじめな敗北は、彼等が口ぐせにいっている民主主義を放棄させファシストの本質をハッキリと現わすようになってきた。『人民文化』『世論週報』を発禁処分にした彼等は、1953年9月、人民党の機関誌発行許可方の申請に対して、ブラムリ民政官は次の理由で却下してきた。日本共産党⑴吉田政府打倒。⑵駐留軍の引揚げ。⑶講和条約並みに行政協定の廃止。⑷防衛負担金の反対⑸増...