沖縄支部・琉大分会 被爆・敗戦70年の夏に考える企画
堺 英二郎さん(前琉球大学理学部・物理学)
琉球大学における平和教育の軌跡と意義
『核の科学』30年の実践を振り返って
講演者から: 『核の科学』は核問題を中心とする総合的な平和教育であり,その内容は,核反応,放射線,原子力発電など自然科学的基礎から,核兵器,基地 や世界戦略体勢など軍事論,平和と憲法など社会科学的論考,ヒロシマ・ナガサキ,オキナワなどの歴史,さらには,平和運動論まで広範にわたっています.真に平和な沖縄,日本,世界を実現したいと願う多くの担当教員の熱意に支えられて,1984年度に開設して以来現在まで継続しており,今年度までの受講者数は2800名以上になります.講演では,30年間にわたる『核の科学』の実践の歴史と成果について報告する予定です.(さかい えいじろう)
* どなたでもご参加になれます。入場・資料は無料です。お誘い合わせの上お越し下さい。
* 終了後、学内にて懇親会を行います(一般2千円程度・学生無料)。ご参加ください。
開催趣旨
沖縄は、核兵器の歴史と深い関係を持っています。沖縄戦によって建設された米軍基地は本土空襲の拠点となり、長崎に原爆を投下したB29爆撃機は、出撃したテニアン島に戻れず、沖縄に帰投しています。戦後、"The Keystone oh the Pacific"として基地の整備拡張がなされた沖縄は、核兵器と毒ガス兵器の大量配備をもって、冷戦態勢の最前線基地として「完成」を見ます。
沖縄の復帰運動は、「核抜き・本土並み」をめざし、安保条約ではなく平和憲法をもつ日本だからこそ進められました。しかし、今、新基地建設で焦点となっている辺野古の弾薬庫には復帰後も核弾頭が置かれていたとされます。ホワイトビーチは今なお日本で三ヵ所だけの、米軍の原子力推進艦の基地です。同基地が支援する攻撃型原潜部隊は、核巡航ミサイル攻撃の任務を担ってきました。
米軍占領下の沖縄では、原爆被爆者やビキニなどの核実験被爆者援護が十分に行えませんでした。また、琉大では、本土で初めて発刊された原爆被害の写真集を入手した学生が、これを知らせようと学外で原爆展を開いたことなどを理由に、学生の退学処分を行った(「第一次琉大事件」)痛苦の歴史を持っています。
こうした沖縄に設置された総合大学たる琉大で、平和教育を、核についての教育を行おうと、JSAのメンバーをはじめ有志教員が集まって勉強会を重ね、教材を自ら整えて共通教育科目「核の科学」は始まりました。いま、その実践は30年を超え、プレテスト・ポストテストの学生の解答資料の蓄積は膨大なものとなっています。この貴重な成果や経験について、その中心メンバーであった堺英二郎さんにお話し頂きます。
堺さんは、今春、琉大を定年退職され、現在福岡県在住。今回「核の科学」担当の非常勤講師として帰沖しました。退職当時から、「最終講義の代わりに話したい」と希望されていた講演です。皆さまご来聴下さい。
日本科学者会議(JSA)沖縄支部 okinawaあっとjsa.gr.jp
事務局:〒903-0213 琉大農学部森林保護研究室気付Tel./Fax.098-895-8794
堺 英二郎さん(前琉球大学理学部・物理学)
琉球大学における平和教育の軌跡と意義
『核の科学』30年の実践を振り返って
講演者から: 『核の科学』は核問題を中心とする総合的な平和教育であり,その内容は,核反応,放射線,原子力発電など自然科学的基礎から,核兵器,基地 や世界戦略体勢など軍事論,平和と憲法など社会科学的論考,ヒロシマ・ナガサキ,オキナワなどの歴史,さらには,平和運動論まで広範にわたっています.真に平和な沖縄,日本,世界を実現したいと願う多くの担当教員の熱意に支えられて,1984年度に開設して以来現在まで継続しており,今年度までの受講者数は2800名以上になります.講演では,30年間にわたる『核の科学』の実践の歴史と成果について報告する予定です.(さかい えいじろう)
* どなたでもご参加になれます。入場・資料は無料です。お誘い合わせの上お越し下さい。
* 終了後、学内にて懇親会を行います(一般2千円程度・学生無料)。ご参加ください。
開催趣旨
沖縄は、核兵器の歴史と深い関係を持っています。沖縄戦によって建設された米軍基地は本土空襲の拠点となり、長崎に原爆を投下したB29爆撃機は、出撃したテニアン島に戻れず、沖縄に帰投しています。戦後、"The Keystone oh the Pacific"として基地の整備拡張がなされた沖縄は、核兵器と毒ガス兵器の大量配備をもって、冷戦態勢の最前線基地として「完成」を見ます。
沖縄の復帰運動は、「核抜き・本土並み」をめざし、安保条約ではなく平和憲法をもつ日本だからこそ進められました。しかし、今、新基地建設で焦点となっている辺野古の弾薬庫には復帰後も核弾頭が置かれていたとされます。ホワイトビーチは今なお日本で三ヵ所だけの、米軍の原子力推進艦の基地です。同基地が支援する攻撃型原潜部隊は、核巡航ミサイル攻撃の任務を担ってきました。
米軍占領下の沖縄では、原爆被爆者やビキニなどの核実験被爆者援護が十分に行えませんでした。また、琉大では、本土で初めて発刊された原爆被害の写真集を入手した学生が、これを知らせようと学外で原爆展を開いたことなどを理由に、学生の退学処分を行った(「第一次琉大事件」)痛苦の歴史を持っています。
こうした沖縄に設置された総合大学たる琉大で、平和教育を、核についての教育を行おうと、JSAのメンバーをはじめ有志教員が集まって勉強会を重ね、教材を自ら整えて共通教育科目「核の科学」は始まりました。いま、その実践は30年を超え、プレテスト・ポストテストの学生の解答資料の蓄積は膨大なものとなっています。この貴重な成果や経験について、その中心メンバーであった堺英二郎さんにお話し頂きます。
堺さんは、今春、琉大を定年退職され、現在福岡県在住。今回「核の科学」担当の非常勤講師として帰沖しました。退職当時から、「最終講義の代わりに話したい」と希望されていた講演です。皆さまご来聴下さい。
日本科学者会議(JSA)沖縄支部 okinawaあっとjsa.gr.jp
事務局:〒903-0213 琉大農学部森林保護研究室気付Tel./Fax.098-895-8794
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