4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)

4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)
http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2013/04/4281952.html  
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4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)

 1952(昭和27)年4月28日、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、太平洋戦争で敗戦した日本は独立国として主権を回復しました。
 その一方で、沖縄・奄美は日本から切り離され、米軍の施政権下に置かれました。
 また、同年4月1日、全琉球を統一する住民側の政府ともいうべき琉球政府が発足しました。しかしその活動は米国統治下で制限されたものでした。
 
 1951(昭和26)年9月8日、サンフランシスコ会議において日本と旧連合国48カ国が同条約に調印しました。日本からは当時の首相吉田茂(よしだ・しげる)が出席して署名しました。
 そして同条約第3号により、北緯29度以南の奄美や沖縄の南西諸島を日本の行政権から切り離し統治することが国際的に決定されました。
 
 同条約が発効される以前、アメリカは戦時国際法『ヘーグ陸戦法規』を根拠に沖縄を占領してきましたが、サンフランシスコ平和条約と同日に『日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』(安保条約)も発効し、それによってアメリカ軍の日本駐留が認められました。
 
 
 1950年代からは米軍基地の建設が本格化しました。
 
 アメリカ政府の出先機関である琉球列島米国民政府(USCAR)は、布令・布告を公布するなどして新規に土地を接収し、基地を拡充していきました。 

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第一次琉大事件があったのは、1953年。