『奄美の奇跡』 言葉の運動、復帰実現


『奄美の奇跡』 言葉の運動、復帰実現2015年9月20日 09:09奄美群島といえば田中一村、島尾敏雄の2人の名が浮かんでくるだけであったものが、本書により中村安太郎、泉芳朗、昇曙夢、村山家国らの優れた人物の存在を知り、敗戦後、米軍政下に置かれた奄美が、いかに過酷な状況であったかも知った。
 島外に出た者の送金で成り立っていた奄美の経済は、焼け跡の中、海外からの5万人の引き揚げ者を抱え、ソテツを食べ、マッチが貴重品、チョークも教科書も鉛筆もなく、小学生もアメ売りで金稼ぎするありさま。 しかも軍政は厳しく、1947年に就任したラブリー軍政官は集会・言論・出版・信教・平和的結社・労働組合の自由などの一切に停止指令を出す。 だが、それにもめげず、人々は、特に若い人々は、生き生きと「中村学校」で学び、「世の中は変えられる、知性的たれ」のメッセージに応え、復帰運動へと立ち上がっていき、あまたの困難を乗り越えて、53年12月、復帰を実現させる(それは沖縄と奄美が切り離された日でもあったが)。その復帰運動は、非暴力で子どもたちまでが参加した島ぐるみの署名運動・断食闘争であり、かつ、著者も述べているように「奄美の奇跡は社会運動であるとともに、言葉の運動であった」ユニークさ。 だいたい奄美大島日本復帰協議会議長に推された泉芳朗からして教師であり詩人であった。断食闘争最終日の「挨拶」には、あいさつでなく自作の詩を朗読している。 「よしや骨肉ここに枯れ果つるとも/八月の太陽は/燦として今天井にある/されば膝を曲げ頭を垂れて/奮然五体の祈りをこめよう/祖国帰心/五臓六腑の矢を放とう」(「断食祈願」部分) 集いも秘密裡に開くしかないなか、若者たちにとって「詩は自己を表現するための大切な武器」であったのだ。 安倍政権下、奄美でも自衛隊のミサイル計画が反対運動を押しのけて進み、日本国全体が戦争前夜の様相を呈している今「世の中は変えられる…」のメッセージがとりわけ胸に響く。(石川逸子・詩人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ながた・こうぞう 1954年、大阪生まれ。東北大学卒。77年、NHK入社。ドキュメンタリー、教養番組に携わり、ディレクターとしてNHK特集や「NHKスペシャル」などを制作してきた。現在、武蔵大学教授

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