2016.03.07 12:23透ける占領者の意図/「琉大を支配の道具に」/識者、歴史問い直す必要2008年09月16日【朝刊】 社会 透ける占領者の意図/「琉大を支配の道具に」/識者、歴史問い直す必要 第一次事件の時に琉球大学に在学し、第二次事件では沖縄タイムス記者として取材したジャーナリストの新川明さんは「米国民政府やミシガンミッションも絡んでいたことは想像できたが、アメリカの圧力があったことがこの資料で裏付けられた」と話す。 第一次事件の元学生らの処分について「琉大当局の処分理由は(学生が守るべき規則である)『学生準則』違反だったが、その適用はあいまいだった。問題なのは、違反だったとしても、それが除籍という最も重い処分に値したのかどうか」と指摘。「米軍の圧力という第二次事件の場合と本質は全く同じ。大学当局は第二次事件の名誉を回復する時に、第...
2016.03.07 12:16第一次琉大事件 米が圧力/県公文書館に派遣教授の手紙2008年09月16日【朝刊】 政治 第一次琉大事件 米が圧力/県公文書館に派遣教授の手紙「軍諜報部隊が関与」/大学側、調査へ 一九五三年に平和運動にかかわり謹慎処分を受けた学生四人が問題を学外集会で公表し退学となった「第一次琉大事件」に関し、処分の背景に当時沖縄を統治していた米国民政府(USCAR=ユースカー)や米軍諜報部隊(CIC)による圧力があったことを示す文書が見つかった。県公文書館が所蔵する「ミシガン州立大学支援事業関係資料」の中に含まれていた。ミシガン側代表が米国民政府に情報提供をしていたこと、「CICはかかわっていたが黒子に徹していた」などの記述があった。識者は「アメリカの圧力があったことが裏付けられた」「占領者の意図でつくられた大学で、...
2016.03.06 15:11 『焦土の記憶』 ――沖縄・広島・長崎に映る戦後◆書評2011年9月23日、週刊読書人、小暮修三氏評http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1243-6.htm焦土の記憶―目次プロローグ――問いの設定体験の語りの位相差 ローカルな輿論と文芸誌 体験と政治と世代 本書の構成序章 戦後日本における「断絶」と「継承」――体験への共感と反発の力学「わだつみ」への共感 教養への着目 庶民的教養と「わだつみ」 年長知識人の批判 戦記ブームと反「わだつみ」 第二次わだつみ会と「語り難さ」への固執 自己への問い 遺稿集の再刊 世代間の断絶 六〇年代末の戦記ブーム 跪拝の対象としての戦争体験 わだつみ像破壊事件 共感...
2016.03.05 11:19関西奄美会関西奄美会、もすぐ百周年!それぐらいになるか…私の祖母は明治28年生まれやし(・・)戦前に一度、大阪へ移民してるし…その頃ぐらいからやもんね関西奄美会ホームページhttp://kansaiamamikai-h26-h27.com/index.html
2016.03.03 13:08【外交文書公開】琉大事件 苦渋の処分 安里学長、大学存続で判断 【外交文書公開】琉大事件 苦渋の処分 安里学長、大学存続で判断 2011年2月19日 10:01http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-173678.html 18日公開の外交文書で、1956年8月17日に、反米的言動を理由に琉球大学の学生が退学処分になった「第2次琉大事件」に関し、当時学長の安里源秀氏が「大学の自由と自主はあくまで獲得しかつ堅持したいと考える」と語るなど、大学の自治を追求しながらも米側の強圧的な態度に屈した心情を明かしていた。安里氏の事件に対する心情が明らかになるのはこれが初めて。処分から1週間以内という早い段階で、日本政府に学生の救済を求めていたことも分かった。 文書によると安里氏の発言は56年8月...
2016.03.02 11:30「奄美大島の海と山」がダブル汚染。基地建設の土砂採取で「奄美大島の海と山」がダブル汚染。基地建設の土砂採取でhttp://nikkan-spa.jp/890377 2015.08.09 景観・歴史・文化・環境・生態系などの破壊に目をつぶり、ひっそりと進行している開発計画は数多い。それは本当に必要な事業なのか? 地元住民はどれだけ情報を与えられているのか? 全国各地で進められている、“あまり知られていない”開発計画の現状をリポートした!!◆基地建設のための土砂採取で周辺の海が“死の海”に~奄美大島(鹿児島県)海と山のダブル汚染~ 沖縄県名護市辺野古で起こっている米軍基地建設問題では、同県・大浦湾などの環境問題が取りざたされている。その陰で、基地建設のために山を削られ、海が荒らされている地域があることはあまり...
2016.03.02 10:47私にとっての奄美…私の母は昭和12年生まれ。奄美の南部、カケロマの秋徳小中学校の卒業生。 私が先日、奄美へ行った時奄美市から瀬戸内町までの道もトンネルが沢山できていて、車での移動もスムーズになっていた^^ただ、本当にトンネルだけを見てきた感じになってしまった^^;奄美大島は、殆どが山といっても過言ではない。次、奄美へ帰ってきた時は国道58号線をひたすら走るのではなく、山を案内してくれるという…カケロマにも渡り、カケロマも案内するからと、私より3つ上のハトコが言ってくれた。このハトコのお兄ちゃんは、小学生までは大阪に住んでいた*画像は、奄美瀬戸内町
2016.03.01 10:40『憲法のない島』私が行った時、『憲法のない島』という催し(パネル展)が開催されていた。1953年の出来事のところに、憲法21条の項目が貼られていたのが、私の心の中に深く刻みこまれた。日本国憲法第21条 - Wikipedia - https://ja.wikipedia.org/…/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%8… 「沖縄県平和記念資料館」http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp