2016.07.19 08:52祖国なき沖縄より⑥1952年~1953年の二年間は、復帰運動が、労働者の組合づくりや労働三法立法要求、農民の軍用地問題についての要求などと結びあいながら、一定の高揚をたたかいとる時期である。そのなかでたとえば、五三年四月の社会大衆・人民両党の共同組織としての植民地化反対闘争委員会の結成や、同年十二月の奄美諸島返還がたたかいとられた。
2016.07.18 08:05祖国なき沖縄より⑤琉大事件なるものは一応済んだかのように思われている。しかしそれは未だ解決されない問題を提起しただけであり、教育問題としては歴史的汚点となることは明らかである。こうした権力に屈従する植民地的教育をおしつけられるとしたら、今後の教育の進む方向やあり方を心配するのである。まだまだ解決したのではなく、それは将来歴史によってはっきりと明らかになるであろう。
2016.07.17 11:39「沖縄問題20年」より①1965年発行〈沖縄問題二十年〉より。朝鮮戦争は、沖縄の軍事基地にますます拍車をかけるが、これを契機に本土資本の沖縄進出が始まった。鹿島建設、清水建設をはじめ、二十をこえる大土建業者が沖縄に押しよせた。
2016.07.17 06:14祖国なき沖縄④悲憤の島オキナワの記録・・・中野好夫○あらゆる意味において、オキナワは日本の縮図だとは、オキナワから帰ったすべての人の口から、わたしの直接聞いた言葉である。物質的生活の極度の困難から、やむなく精神的荒廃にまで追い込まれてゆく大多数の庶民、それらの犠牲の上にのっかって私腹を肥やす一部少数の追随的権力盲者、利権屋、享楽業者、そしてまた火事場稼ぎ組の渡来日本人、-まさしくこれは日本の縮図でなければならぬ。(略)わたしは本書にあって、一人でも多くの日本人が、悲しみの島オキナワの実情と、その県民の熱望とを、自分たちの問題として知ってくれることを、もう一度あらためて心から祈る。ーーー悲憤の島オキナワの記録ーーー初版序文より