2018.04.13 11:23第2回メーデー市中デモ行進☆1951年~1953年…沖縄での写真②那覇市歴史博物館ホームページから検索してみるとデジタルミュージアム : 那覇市歴史博物館沖縄はかつて琉球王国という独立した国でした。当館では王国時代からの歴史を、家文書や写真資料、美術工芸品等、そして国宝の尚家資料の展示を交えて紹介しています。また、1〜2ヶ月ごとにテーマを変え、企画展を開催しています。www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jpこれが、みつかった! ↓第2回メーデー市中デモ行進 : 那覇市歴史博物館沖縄はかつて琉球王国という独立した国でした。当館では王国時代からの歴史を、家文書や写真資料、美術工芸品等、そして国宝の尚家資料の展示を交えて紹介しています。また、1〜2ヶ月ごとにテーマを変え、企画展を開催しています。www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp「写真集那覇百年」という本に掲載されてるのかな…那覇百年のあゆみ―激動の記録・琉球処分から交通方法変更まで (1980年)那覇百年のあゆみ―激動の記録・琉球処分から交通方法変更まで (1980年)Amazon.co.jpこの際だからこの本を取り寄せることにもした。つづく沖縄からの報告 (1959年)1951年、奄美から沖縄へ。最初は、米軍基地で働いていた。どのような労働条件だったか…1953年のメーデーでは米軍戦車も出動、弾圧メーデー何があったの?私、寝込みそう😢⤵☆沖縄からの報告 (1959年琉大事件を考える(仮称)「沖縄問題20年」より①1965年発行〈沖縄問題二十年〉より。朝鮮戦争は、沖縄の軍事基地にますます拍車をかけるが、これを契機に本土資本の沖縄進出が始まった。鹿島建設、清水建設をはじめ、二十をこえる大土建業者が沖縄に押しよせた琉大事件を考える(仮称)「沖縄人民党の歴史」第三章より第三章の目次を書き出してみる第三章 サンフランシスコ体制の始動一 サンフランシスコ「平和」条約の発効とたたかいの新たな展開1 軍事的植民地的支配の固定化2 第五回党大会 琉球人民党第一回代表者大会3琉大事件を考える(仮称)祖国なき沖縄より⑥1952年~1953年の二年間は、復帰運動が、労働者の組合づくりや労働三法立法要求、農民の軍用地問題についての要求などと結びあいながら、一定の高揚をたたかいとる時期である。そのなかでたとえば、五三年四琉大事件を考える(仮称)沖縄に最初に核兵器が配備されることになったと見られるのは1953年沖縄に最初に核兵器が配備されることになったと見られるのは1953年。以下、下記記事参照「沖縄と核、アメリカ統治下の知られざる真実」那覇近郊で核ミサイルが誤発射されていたNHKスペシャル『スクープドキュ琉大事件を考える(仮称)1953年の出来事・沖縄【1953年】 1/8 那覇で第一回祖国復帰県民大会 1/10 「沖縄諸島復帰期成会」発足 教職員会、市町村長協議会、青年連合会、婦人連合会、教育後援連合会で構成。 のち体育協会も加わ琉大事件を考える(仮称)復帰後世代に伝えたい「アメリカ世」に沖縄が経験したことこの本が手元に届いた。この本では、第1次琉大事件で処分された学生の名誉回復はされていない事も記されている。 私が探している写真、那覇市歴史博物館にあるんだ…って、そもそもね( ;-`д´-)琉大事件を考える(仮称)琉大事件を考える(仮称)第一次琉大事件に関する情報を集めています。フォロー2016.07.17 11:39「沖縄問題20年」より①0コメント1000 / 1000投稿
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