2017.05.01 02:45祖国なき沖縄より⑨ 1952年 住民の間に沸き起こっている反植民地の戦いは各地でぞくぞく選挙権擁護大会を開く方へ発展して行った。つづいて行われた北部の選挙も野党連合を勝利させた。相次ぐ選挙は絶えず占領軍の干渉を受けながらも、県民はこれに屈することなく、彼等の利益を代表する勢力をハッキリと知るまでに成長していたのだ。 占領制度と反動勢力のみじめな敗北は、彼等が口ぐせにいっている民主主義を放棄させファシストの本質をハッキリと現わすようになってきた。『人民文化』『世論週報』を発禁処分にした彼等は、1953年9月、人民党の機関誌発行許可方の申請に対して、ブラムリ民政官は次の理由で却下してきた。日本共産党⑴吉田政府打倒。⑵駐留軍の引揚げ。⑶講和条約並みに行政協定の廃止。⑷防衛負担金の反対⑸増...
2017.04.05 11:28祖国なき沖縄~百鬼夜行「百鬼夜行」生後九か月になる女の子を寝台にねかして、夫婦はでかけた。子どもが起きて泣いていやしないかと夫婦の気は急に家の方に引かれた。ふたりがベットの方を見ると、アッとふたりは気を失わんばかり仰天した。ベットから下へ、あたりが一面の血の海であった。病院で医者に診てもらうと、子供は野犬なんかに食いつかれたのではなく、九か月の女の子の陰部が無惨にも臍のところまで避けていた。
2016.08.20 11:45祖国なき沖縄⑦共産党が、この時の出来事を殆ど把握してなかったのが、私にとっては更に衝撃。知らなくても無理もないと言う人もいる。だからこそ、暗黒時代なのだから。だからといって、暗黒は暗黒のまま闇のままで、何が 沖縄の闘いなの?沖縄の闘いを見習え!とまで言った人もいるんだよ。それとも、何?翁長さんを沖縄県知事に押し上げた理由って、他にも何かあるわけ?
2016.07.19 08:52祖国なき沖縄より⑥1952年~1953年の二年間は、復帰運動が、労働者の組合づくりや労働三法立法要求、農民の軍用地問題についての要求などと結びあいながら、一定の高揚をたたかいとる時期である。そのなかでたとえば、五三年四月の社会大衆・人民両党の共同組織としての植民地化反対闘争委員会の結成や、同年十二月の奄美諸島返還がたたかいとられた。
2016.07.18 08:05祖国なき沖縄より⑤琉大事件なるものは一応済んだかのように思われている。しかしそれは未だ解決されない問題を提起しただけであり、教育問題としては歴史的汚点となることは明らかである。こうした権力に屈従する植民地的教育をおしつけられるとしたら、今後の教育の進む方向やあり方を心配するのである。まだまだ解決したのではなく、それは将来歴史によってはっきりと明らかになるであろう。
2016.07.17 06:14祖国なき沖縄④悲憤の島オキナワの記録・・・中野好夫○あらゆる意味において、オキナワは日本の縮図だとは、オキナワから帰ったすべての人の口から、わたしの直接聞いた言葉である。物質的生活の極度の困難から、やむなく精神的荒廃にまで追い込まれてゆく大多数の庶民、それらの犠牲の上にのっかって私腹を肥やす一部少数の追随的権力盲者、利権屋、享楽業者、そしてまた火事場稼ぎ組の渡来日本人、-まさしくこれは日本の縮図でなければならぬ。(略)わたしは本書にあって、一人でも多くの日本人が、悲しみの島オキナワの実情と、その県民の熱望とを、自分たちの問題として知ってくれることを、もう一度あらためて心から祈る。ーーー悲憤の島オキナワの記録ーーー初版序文より
2016.06.28 08:58「祖国なき沖縄」より”本土の国民が、沖縄への関心をよせはじめる以前に、沖縄で何がおこなわれていたのかを知り…戦後沖縄史を統一的に把握し、今後の展望をさぐるためにも、読みつがれる書であろう。”