琉球大学-Wikipedia




建学の理念
「自由と平等・寛容と平和」・・・1950年創設の翌年(1951年)、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの誕生日を選んで2月12日開学記念式典を挙行した。
リンカーンにあやかり、琉球大学は戦後の平和な社会建設の礎として「自由と平等・寛容と平和」の理想をかかげて建学の理念とした。


沿革

開学前

第二次世界大戦前の沖縄県には、大学や高等学校・高等専門学校といった高等教育機関は一つもなかった(師範学校・青年師範学校(大戦末期に高等教育機関化)のみ存在)。
このため、日本の新制国立大学で、一番特殊な発達を遂げた。

1946年(昭和21年)
具志川村(現うるま市)に、小学校等の教員養成を目的とした沖縄文教学校が開学。
また、外国語教育の施設として沖縄外国語学校が開校。

占領下の沖縄でも1947年(昭和22年)には六・三制の新制学制を実施、また同年に大学設置要求が起きると、米国軍政府教育部は沖縄民政府にたいして、1948年(昭和23年)にジュニアカレッジの設立を指令し、1950年(昭和25年)に琉球大学が設立された。



開学後

1950年代の琉球大学

1950年(昭和25年)5月22日 - 米国民政府布令第30号「琉球大学」に基づき、那覇市首里の首里城跡に「琉球大学」が開学
英語学部・教育学部・社会科学部・農学部・理学部・応用学芸部の6学部で構成され、
沖縄文教学校、沖縄外国語学校は琉球大学に吸収される。

1951年(昭和26年)- 林学部を設置。

1952年(昭和27年) 
4月1日 - 英語学部を語学部に改称、応用学芸学部を商学部・家政学部に分離。
5月5日 - 奄美大島に琉球大学大島分校を設置。




1953年(昭和28年)
12月25日 -奄美大島の本土復帰により、大島分校を廃止。