2017.12.28 12:25今年をふりかえって第1次琉大事件に関して電子化した資料の発行&発刊された年月日や項目の書き出しを、今年中に出来なかったけど💦高良鉄美先生が琉大事件について、8月6日広島での講演を引き受けてくれ、それが記録として内容も残る。あと、今年は新崎盛暉先生と会えました(*^▽^*)色んな意味で楽しかったです(*^▽^)/★*☆♪また、訪ねてみようかなぁ(*^▽^*)来年、どうなっていくんだろう((涙))※資料は、まだまだ ほんの一部
2017.12.26 12:291951年奄美から沖縄へ渡る。1952年琉大へ入学私の伯父は、1951年3月末に沖縄へ渡っています。母子家庭だったため、朝鮮戦争下の原水爆基地建設ラッシュの沖縄へ仕事を求めて、大島高校卒業後すぐに沖縄へ渡りました。米軍基地では、人種による賃金差別がありました。フィリピンからの出稼ぎ者もいたようです。沖縄人が一番下です。奄美人は更に酷い扱いを受けました。稼げる状態ではなかったそうです。それならばと、伯父は大島高校卒業という学力はあったので、琉球大学へ入り教員になる道を目指す事にしました。琉球大学へ入ったのは、1952年4月です。寮の掃除をすれば、学費も無料だったとか優遇は良かったようです。しかし、琉球大学では どのような教育がコンセプトにされていたか…
2017.12.26 05:31大阪では…今年の春、辰巳さん家へ電話したら珍しくお母さんの方が電話に出て(*^▽^*)(お父さんが必ず電話に出るというエピソードは有名) 色々と話が盛り上がった⤴️私の用件は、4月に関西奄美会百周年記念イベントがあり出席するために大阪へ行くので、その際に辰巳さんが出版した本が、もし自宅にもあるなら直接購入したいというのを伝えるだけだった。とはいえ、懐かしさもあって話が止まらない(*^▽^*)そんな中、私の母の話には必ずなるわけで でね…😢😢
2017.12.26 05:21琉大風土記この本では、名指しで『「好ましからざる人物」だとして米民政府によって島外追放された。』と、記されている。ただね、軍事裁判が行われた年が違うんだよね。かといって、どっちが正しいか示すものもない。そして、良い風にも書かれていない。時代が時代だし、このような弾圧は当然なのか。琉大事件は、琉大の歴史にとっても恥ずかしい出来事なのか。 共産党にとっても、恥ずかしい出来事なのか。そのくせ、何だろうね。
2017.12.24 13:07閉塞感漂う沖縄1996年1月、沖縄へ行っている。その事が記事となって出たのが8月。私は、この記事をみて初めて、伯父の過去を知った。といっても、これも ほんの序章にしかすぎない程度という事を痛感する日々が続いている。今の沖縄は、泥沼。
2017.12.22 11:52核の危機にあった朝鮮戦争さなか…『核の危機にあった朝鮮戦争さなかの平和をめぐる闘いであり、民主主義を擁護する運動であり、自由獲得する運動だったのである』 朝鮮戦争下で原爆展 「琉大事件とは何だったのか」より
2017.12.20 08:14NHK「沖縄と核」録画をしたけど、まだ見ていない。 沖縄の戦後史、私の伯父の事が書かれている本や資料を探す中、事実と異なる事や時系列など、照合・検証の作業もこれから。 朝鮮戦争下で原爆展 琉大事件とは何だったのか
2017.12.20 05:59大阪では…*下記の画像1963年此花生健会会員となっている。住んでいたのは此花区高見だけど私の伯父は、西淀川区大和田の担当?もしていたとか。その頃の西淀川区の状況は、辰巳さんの本に記されている辰巳さんは、私の伯父のことをとてもよく憶えていてくれた。
2017.12.11 11:3612.26は4.28と同じ重さを持つ沖縄現代史の政治的符号…オール沖縄には、この悔しさがわからないようだ「1952年4月28日、屈辱の日。2016年12月26日は、何の日となろうか。 致命的な日。それを見過ごしたオール沖縄。」 「12.26は4.28と同じ重さを持つ沖縄現代史の政治的符号となるだろう。(N氏)」